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福岡高等裁判所 昭和55年(う)205号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役五年に処する。

原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

押収してある出刃包丁一本(原庁昭和五四年押第七〇号の1)を没収する。

理由

〈前略〉

控訴趣意第一点(法令適用の誤り)について。

所論は、要するに、被告人の本件殺害行為を過剰防衛であると論じ、更に盗犯等の防止及び処分に関する法律一条一項一・三号、同条二項が適用されるべき事案であると主張し、これを原判決が過剰防衛行為にもあたらないと判断したのは、法令の解釈適用を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れないというのである。

そこで、記録を精査して検討するに、被告人の行為は、当時の客観的状況に照らすと、刑法三六条所定の正当防衛の要件を備えているが、防衛の程度をこえているものと認められる。まず、本件犯行に至るまでの経緯として、(1)被害者吉山義信は昭和五三年一二月ころ、当時キャバレーのホステスをしていた被告人の妻と知合い、その後情交を結ぶ仲になり、五四年三月ころには家出した同女と同棲するまでに至つたものであること、(2)それまでの被告人と妻との夫婦仲は、それ程まで悪くはなかつたと思われ、妻の相手の男が右吉山で暴力団の組員であることを知つた被告人は、同組の代貸に頼んでその説得により、吉山の手から妻を取り戻したこと、(3)ところが同年五月二〇日ころ妻が右吉山と示し合わせて愛児二人を伴い家出するに至つたが、同年九月一四日ようやくその所在をつきとめた被告人は、当時吉山が警察に留置されていたので、都合よく妻を連れ戻すことができ、再び夫婦同居の生活を送るようになつたこと、(4)しかしその頃妻の気持は既に被告人から離れており、それでもなお妻をあきらめきれない被告人は、同女の心をつなぎ止めるべく、なにかと気を配つていたこと、(5)丁度そのような折の本件事件当日、釈放されたばかりの吉山が被告人方に押しかけてきて、いきなり被告人にむかつて、不在中に被告人が妻を連れて帰つたことを非難したこと、(6)その後三者で話し合ううち、当時すでに夫である被告人よりも吉山の方へ気持が移つていた被告人の妻は、同人の誘いに応じて一緒に出て行くと言い出し、これに勢を得た吉山は、せめてもう一日だけでも待つてくれとの被告人の哀願を無視して、その場から妻を強引に連れて行こうとしたこと、(7)これに呼応して妻が出て行こうとするのを見てあわてた被告人が、とつさにその行手に立ちふさがつたのに対し、吉山が、その背後から両手を回して被告人に抱きつき、その隙に妻を逃がそうとし、これを振りほどくため被告人が吉山を前方に投げ倒す挙に出たこと、以上の事実が認められ、これらの状況に徴すると、そもそも被害者吉山は、被告人の妻と情交関係を結び同棲するなどして、被告人の婚姻生活を破壊した立場にありながら、非常識にも被告人ら夫婦の住居にまで来て、被告人の許からその妻を連れて行こうとしたばかりでなく、これに応じて同女が自らの意志で出て行こうとしたにせよ、夫たる被告人がこれを制止しようとするのを、抱きついて実力で妨害する行為に及んだもであつて、この行為は、被告人がその妻との間、住居を共にして性的生活を共同にする等の利益、換言すれば夫権に対する急迫不正の侵害というほかなく、かような利益も亦法によつて保護せられていることは言うまでもないから、これについて防衛を為し得ることは明らかである。この被害者吉山により加えられた急迫不正の侵害に対し、被告人が自己の夫権を防衛するため抱きついて来た被害者を投げ倒して反撃的態度に出たのは、防衛のための已むを得ない行為であつたと認めることができる。ただ、その後に引き続き、被告人が出刃包丁を持ち出し、殺意をもつてこれを被害者の胸部に突き刺す等の行為に出、被害者を心臓刺創により死亡するに至らせたことは、原判示のとおりであることが認められるところ、これは当時被告人がきき腕の左手を骨折、ギブスをはめていたうえ、被害者が暴力団員でさらに何をされるかわからないという恐怖感等から、狼狽・興奮し、冷静さを失つていたことによるものと思われるが、客観的に見て、防衛に必要かつ相当な程度をこえたものと云わざるを得ないので、これら被告人の行為を一連のものとして全体的に観察すれば、過剰防衛にあたると認定するのが相当である。

しかし、本件は、以上に見てきたとおり、被告人の夫権に対する防衛として行なわれたものであつて、被害者は「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」一条一項一号所定の盗犯でもなく(妻が連れ去られることを財物の奪取と同視することはできない)、また三号にいわゆる不退去者として屋外に排除されんとして殺害されたものでもない(一応退去要求を受けたとは認められるが、被告人が被害者を排除しようとした事実は証拠上認められない)から、右各号に該当する事実は存在せず、従つて同条の適用は認め難いという外ない。

以上の次第で、急迫不正の法益侵害行為が認められないとして過剰防衛行為にあたらないとした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるといわなければならない。法令適用の誤りとの論旨は右の趣旨の主張と認められるのでその理由があり、原判決は破棄を免れない。

そこで刑訴法三九七条一項、三八二条に則り、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、さらに次のとおり自判する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四七年ころ恵美と婚姻し、恵美との間に二児をもうけたが、恵美がキャバレーのホステスとして稼働するうち、客の吉山義信(死亡当時二三年)と親密な間柄となつて昭和五四年五月二〇日ころから二人の子供を連れて家出したので、その行方を探していたところ、同年九月一四日恵美と二人の子供が福岡県筑後市内の吉山の実家にいるのを発見し、直ちに自己の肩書住居に連れ戻し、以来同所で恵美及び二人の子供と共に生活していたが、同月二〇日午後三時ころ、吉山が右住居を訪れ、その後二時間余にわたり、四畳半の居間において、吉山や恵美と恵美に関する今後のことについて話し合つたものの折り合いがつかず、同日午後五時五〇分ころ、吉山と一緒に行くと言い出した恵美を引き止めるため台所側入口に立ち塞がつたところ、吉山が恵美を逃げ出させるため、被告人に背後から両手を回して抱きついてきたので、これを排除するため、吉山を投げ倒した。しかし吉山がすぐ起きあがろうとしたので、何をされるかわからないと思つた被告人は、台所流し台にある包丁を取ろうとしたところ、再び吉山が被告人に背後から両手を回して抱きついてきたので、再度吉山を投げ倒したが、その際興奮の極このままでは恵美に逃げられてしまう、こうなつた以上ことの決着をつけるためには、吉山を殺害するのもやむを得ないと突差に意を決し、その直前流し台下の扉内から取り出していた出刃包丁を右逆手に持つて、仰向けに倒れていた同人の胸部をめがけて力一杯突き刺し、そのあと起き上がろうとする同人の左肩などを右順手に持ちかえた出刃包丁で数回切りつけ、よつて同人をして即時同所において心臓刺創による出血により死亡させ、もつて同人を殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法一九九条に該当するから、所定刑中有期懲役刑を選択し、本件犯行の罪質、結果の重大性、使用した兇器、行為の態様等に鑑みると、被告人の刑事責任は極めて重いが、被告人は温厚な人柄で、前科歴はなく、本件も被害者の常軌を免した言動に誘発されて行われた過剰防衛行為であることその他先に明らかにした本件犯行に至るまでの経緯、現在では深く自己の軽率さを反省していること等の被告人に有利な事情を斟酌して、所定刑期の範囲内で被告人を懲役五年に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入し、主文掲記の出刃包丁一本は、判示殺人の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれを没収することとして、主文のとおり判決する。

(安仁屋賢精 徳松巌 斎藤精一)

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